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Y's cafe 五代目社長の眼

「地図を片手に…」

石狩川にかかる旭橋はどの季節に見ても堂々とした架橋のたたずまいである。
新緑が萌える春から夏、遠く大雪の連山が黄金色に浮かぶ晩秋、そして、一面銀世界の中で早暁の真珠色が刻一刻と変化する冬の朝。
2015年7月。旭川との接点がうまれて10年が過ぎたが、カメラを持たずに街を訪れるのははじめてだったかもしれない。観光コンベンション協会の菅原さんとの待ち合わせは旭川の顔でもある旭橋の川岸だった。中央図書館や公会堂のあたりでバスを降りてしばらく歩くと不二苑という旭橋のたもとにあるひなびた旅館が見えてくる。8年ほど前の1月にシナハンの途中で泊ったことがある。小ぶりの家庭的な宿だったが近くのコンビニが橋を越えて反対側だったので、セーターやダウンを着こんで毛糸の帽子と手袋といった完全装備をしていかないと橋の途中でくじけそうになってしまうほど冷たい川風に吹かれたのを覚えている。
菅原さんに案内されて旭橋のすぐ脇から土手伝いに降りていくと、広い川岸に大きな特設スタンドや照明のやぐら、そしてレッドカーペットにつながるステージがしつらえてある夏祭りの会場が見えてくる。今年の第35回「旭川観光顕功賞」に選んでいただき、その授賞式に参加させてもらうことになったのだ。「旭川観光顕功賞」とは観光、文化、スポーツなどを通じて、旭川の観光振興の発展に尽力、貢献した功績が顕著であることを表彰するもので、昨年はソチ五輪のスノーボードのメダリスト竹内香苗選手が受賞。歴代の受賞者にはビッグネームも並び、身に余る光栄に置く場所がない。
今回の授賞理由は、ドラマスペシャル「奇跡の動物園〜旭山動物園物語」の制作。平成18年の第1作目から演出を務め、平成26年から27年にかけても第5作目を旭川ロケを中心に制作し、4月10日、フジテレビジョン系で全国に放映され、旭山動物園及び旭川市の観光振興の発展に大きく貢献した。というもの。
テレビの賞ではなく、“街に褒められること”が格別なものであり、テレビや映像の力を地域から認めてもらったこと、そして、あらためてテレビのチーム力の結晶であることを思い、立ち上げから10年、シリーズに携わったいわば出演者、スタッフ、関係者、地元スタッフ、そして動物園の皆さん、一人一人の賞であることを思えば感謝に堪えない。

授賞式は旭川夏まつりの開会式の一環として行われ、西川旭川市長、商工会議所のトップなど地元重鎮が揃いの祭り浴衣で列席されていた。スタンドの一角に座っていると地元自衛隊音楽隊が登場してきた。大ぶりの白いチューバが緑の夏草に映えてまぶしく光りながら行進してくる。指揮者の女性が軽快にきびすを返し、スタンドの観客に向けて敬礼するとたちまち拍手が巻き起こる。気づけばスタンドの客は千人あまりになろうとしていた。それもそのはず授賞式のあとは、夏まつりのメインイベント花火大会が同じ場所で行われるのだ。音楽隊の演奏を野外で聴くのは一興である。勇壮なメロディにふと目を上げると夏の太陽が遠い山影に傾き、旭橋を茜色に染め上げている。心地よい夏の川風が頬をなで通り過ぎると旭川との出会いの日々が甦る。

動物の生態を生き生きと見せる動物園があるらしい。知的探検系の番組をやっていた中で小林Pと注目したのが旭山だった。10年前、旭山はとても素朴な動物園だった。正門で入園料を払い、園内の地図をたよりに、なだらかな丘陵地帯を登っていく。素晴らしいと思った。動物が、である。抜群に動物の毛艶がいいのだ。彼らの瞳には生気がみなぎり元気というより躍動感に満ちていた。客を獲物ととらえてジャンプしてくるホッキョクグマがいると聞き、ホントに水槽のこちら、客側めがけて飛んでくる姿は痛快だった。ぺんぎんの水中トンネルやアザラシの円柱プールにしばし見とれながら、動物の動きをどう計算し構造の設計、建設をしたのだろうと豊かで斬新な発想の原点に思いをはせる。素朴なのに動物たちの動きに引きつけられる何かがその場所にはある。
初めて園内を回ってすぐ直感でドラマにしたいと思った。とにかく、園の人に話を聞こうと事務室を訪ねる。二階建ての小振りな室内は書類や積み上がった事務机が並び、壁には月間予定表の隣に動物の担当当番表に飼育係の名前が小さな木の札に書かれてぶら下がっている。昼間は飼育係は各自担当の動物の展示施設へと出払っているので事務室はがらんとしていた。
応対してくれたのは実直そうな山崎さんという広報担当の方だった。「うちでドラマなんかできませんよ」丸いメガネの奥から「怪訝」という文字がテロップで飛び出してくるように思えるほど山崎さんはこちらをいぶかしんで見つめている。当時、旭山動物園の撮影といえば、地元局の季節折々の風景が主で、ドラマやバラエティ、情報番組、中継すらほとんどなかったのだ。いきなり初対面の見知らぬ者達が「ドラマを作りたい」などと言いだすから、騙されているのかと思われても不思議ではない。
山崎さんはしばし思案のあげく「では、うちの飼育係長のバンドウに話してみてください」と次へのバトンを渡してくれた。偶然、園内を回っていたバンドウさんと会えた。動物園の制服の下からフリースと白いTシャツがのぞいて、白い長靴の足の運びの軽さが一日中、広い園内を動き回っている証に見えた。
会話中、腰にぶら下げたトランシーバーから『バンドウさん、バンドウさん。もうじゅう館〇〇ですが…』とひっきりなしに呼びかけが続き、そのたびに丁寧に対応していた。そのバンドウさんこそ、その後、副園長をへて現旭山動物園園長となった坂東元さんだった。事務室の傍らで自らが動物園に入った頃のこと、閉園に追い込まれてしまいそうな危機的状況だった日々、なんとか理想の動物園を作りたいと夢をスケッチにまとめていった飼育係の面々、その横顔。気づけば事務室の窓から夕陽が差し込んで西日が壁一面をあかね色に染め上げていた。当時のノートを見返してみると1時間半以上、坂東さんと喋ったことになる。坂東さんの話は、つねに走りながら考えていた働く者たちの真実の姿だった。
具合の悪くなった動物が倒れて懸命の治療もむなしく死んでしまう。その時、涙が抑えられない飼育係も多いと聞いた。
「動物の死に向き合う時、悲しさ、寂しさというより、ぼくの中では“悔しさ”だと思います。どうして救ってやれなかったのだろう…」
獣医でもある坂東さんの口から出る言葉には、闘う者の孤独も滲んでいた。動物園で働くことは、どこか長距離ランナーの孤独に似ている。だからこそ、ここで日々、動物と向き合いながら夢と現実に格闘している飼育係それぞれに会って、じかに話を聞きたいと思った。きっと大切なそれぞれの物語があるはずに違いない。しかし、簡単にはいかない。飼育係は交代勤務で働いている。その上、一日の仕事のペースが担当する動物によって異なり、忙しくて人とゆっくり話をする時間を取るのはたやすいことではなかった。
『では2週間後は牧さんと中田さん。その次は曽我部さん…』
坂東さん、山崎さんから紹介の輪を広げて飼育係の話を伺っていく。
はじめての帰路のことをよく覚えている。
閉園時間近く、まだまだお客さんがそんなに多くはなく、のんびりとした園内。
さる山のさるの親子が夕陽のシルエットの中、毛づくろいをする後ろ姿がことさら愛らしかった。
また、ここに来よう!
そこから、旭川通いが始まった。

出演者の皆さんの存在も偉大である。ぐっさん、戸田恵梨香、小出恵介、荒川良々、利重剛、伊東四朗の1回目からのおなじみの面々が旭川という街に愛着を持って、また行きたいと思ってもらえることがなによりの財産であり、街に愛された番組にとって撮影に協力していただいた皆さん、それぞれとの信頼の上につながっていることに深く感謝。「奇跡の動物園」の一回目が放送されてから確かに、旭山動物園入園者は爆発的に増えた。それから10年で5作品。園内の地図はいつしか、外国語バージョンも数種類作られ、海外からの観光客も地図を片手に見物している。
新たな動きを始めた。こちらもひとつ奮発して「新・奇跡の動物園」の英語版を作った。日本の動物園がアジアをはじめネットワークを世界レベルへと広げていく上でも、日本の動物園が動物展示の繊細かつ大胆な工夫を試みていることや動物の一個体の治療、死にきっちりと向き合っていることをメッセージできるのではないかと、このところアジアへの出張の多い坂東園長と海外で放送できる可能性を探れないかと思っている。
自分たちが創っている番組が、未来をさししめす〈一枚の地図〉になっているだろうか?
(加藤義人)

(2015年9月)