テレビマンユニオン リクルート2020 | TV MAN UNION RECRUIT2020
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岸 善幸 

ディレクター 岸 善幸 

1987年、テレビマンユニオン参加。「アメリカ横断ウルトラクイズ」「世界ウルルン滞在記」「情熱大陸」などをはじめ多くのバラエティ、ドキュメンタリー番組を手がける。 40代後半からNHKを中心にドキュメンタリードラマやドラマを演出。
「少女たちの日記帳 ヒロシマ 昭和20年4月6日~8月6日」(09年 ATP総務大臣賞)「開拓者たち」(12年 ギャラクシー賞)「ラジオ」(13年 国際エミー賞ノミネート 芸術祭大賞)
15年劇場映画デビュー作「二重生活」を公開。ウラジオストク国際映画祭最優秀監督賞 ニューヨークアジア映画祭審査員特別賞を受賞。第2作となる「あゝ、荒野」(17)で国内主要映画祭の作品賞を受賞。
BSフジ「美しき酒呑みたち」の総合演出としても知られる。 


ここでできること

この組織に参加して30年余り。これまで僕はプロデューサーやディレクターとして300本を超える番組に関わってきました。すべて現在いまの自分の思考をつくってくれた大切な番組です。
はじめはこの組織が得意としてきた海外取材番組のADからでした。常に新しいことが求められるのがテレビというメディアです。常に取材先はガイドブックに載ってない場所ばかり。歴史も文化も違う国と地域、そこに暮らす人々に触れる取材の旅は僕にとって「日本以外」を知る新鮮な体験でした。ディレクターになってからも僕は夢中で世界各地を飛び回りました。豊かなところ、貧しいところ、富める人、奪われる人、取材を離れてもそこに存在るだけで学ぶべきことはたくさんありました。

28歳のとき、自分で書いたバラエティー番組の企画に数千万円の制作費がつきました。何人ものディレクターをかかえなければできない規模でした。はじめてプロデューサーとなり、かき集めた後輩ディレクターたちに自信も確信もないまま番組コンセプトを示し、たぶらかし、突っ走り、どうにか放送までこぎつけました。このときスタッフは全員20代。この組織はその編成を不安がるどころか声援を送ってくれました。まさに「やってみなはれ」です。それからは若いディレクターたちと一緒に無我夢中で番組をつくり放送が終わるとまた新しい企画を売り込む日々。

33歳のときでした。自分がプロデュースした番組が国際問題に発展しかねないほど大きなトラブルを引き起こしました。相手国の大使から国民まで公式の謝罪を余儀なくされた僕は責任者としてはげしい非難を浴びせられました。もはや辞職するしか解決の道はない……しかし、しかし、です。僕は現在いまもここで生きているのです。

その後はプロデューサーとしてディレクターとして、バラエティー以外にもドキュメンタリーや旅番組、情報番組、経済番組、生中継、ドラマなどなど、雑食系制作者として生きつづけてきました。そのあいだに出会った人は数え切れません。取材先で涙を流して喜んでくれる人もいれば、靴を投げつけてくる人もいました。視聴率はテレビの宿命です。数字が低くても一緒に若いディレクターを励まし苦楽をともにした局のプロデューサーがいました。一方で上司の一言ですぐに手の平を返すプロデューサーにもあいました。悲喜こもごも、聖も、俗も、いろいろと学んだ時間でした。

53歳になって、遅ればせながらですが映画をつくりました。この組織が出資をしてくれたからです。運にも恵まれ2作目を続けて公開することができました。現在いまは3作目に取りかかっているところです。

とても大雑把になりましたが、僕がここで経験してきたことのいくつかを書いてみました。もしかしたら、時代がよかっただけじゃないのと思う人がいるかもしれません。そう感じる人がいるなら僕は否定します。なぜなら「あらゆる新しいこと、美しいこと、素晴らしいことは、一人の人間の熱狂から始まる」からです。この組織は自立した制作者の集団を標榜してきました。一人で切り拓き熱狂できる人を求めています。ここで夢中になってみませんか。是非。


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