ディレクター 岡崎 ひかり
フリーターを経て、建設コンサルタントや大阪港の荷役をしていました。
2018年頃からテレビマンユニオンに参加しています。
京都生まれのアナーカ・フェミニストです。とても人当たりが良いです。
好きはこわい。
わたしのおじいちゃんはお酒がとても好きで、好きで好きでたまらんかったらしくて、家じゅうにある棚、ひっくり返して、飲む用に買ってきたもんはあたりまえ、よるごはんの野菜いためるときとかにおばあちゃんがフライパンにジャーってやる用のやつとか、“ほんもん‟のお酒からお酒っぽいもんまで、次から次へ飲んでおりました。よっぽど好きなんやなぁと子どものわたしは思って、しげしげとおじいちゃんの顔をみていると、おじいちゃんも嬉しそうにわたしをみて、「さ、ちょっとおばあちゃんが隠したのとってこよ」と、“宝さがし‟をやってくれました。
そのころ幼稚園には虫の好きな女の子がいて、虫の苦手な子どものわたしは、その子も虫もまるごと苦手でしたが、避けていたその子の前をたまたま通りかかると、ミミズを生きたまま石で切ってバラバラにしていることがありました。ほら、まだ生きてるやろってみせられても、なんで生きてんのやろなぁと近づいていくこともできず、その子の「好き」にただ、おののいていました。
うちの犬は自分のうんこを好んで食べました。子どものわたしには犬のそういうところがよくわかりませんでした。でも、大人になってもやっぱり納得いきませんでした。
しだいに、周りの友達には女が好きで好きでたまらんというのも出てきました。いつも暴走する欲求をコントロールできずに、たいへんな痴情のもつれに苦しんでおりました。
また別の友達は、小説を書くのが好きで好きでたまらないし、それしかしたくないというのですが、いつのまにか好きで書いてるのか、書くのにとらわれているから好きと感じるのかわからなくなって、だんだんとふさぎ込み、ついには連絡がつかなくなってしまいました。
好きはこわい。
好きはウルトラ化して何かを傷つけたり、自分を追い詰めたりする。さいきんは、好きに身をささげるひとに、以前よりたくさん出会うようになりました。
でも、好きをこわがって育ったわたしは、何かをする、例えば何かを作ることだって、それは「好き」な人の特権ではないし、「好き」はモチベーションの王様ではないんだって思うことにしています。
あぁなにか作りたい、作るのが好きで好きで仕方ない、それだけをやっていたい、さぁクリエイティブな仕事をさがすぞ!って友達がいたら、何かあった?大丈夫なの?もっと他にもいろいろあるんじゃない?って心配してしまいます。わたしとしてはフリーター生活も意外に面白いところがあったし、お金がゆるすかぎり全く働かずにプラプラしたのも素晴らしかったなぁ、いまはいまで刺激があっていいけれど。
ひょっとすると、仕事選びってそんなに悩まなくていいのかもしれません。