大相撲どすこい研 第2回「立ち合い」

大相撲どすこい研 第2回「立ち合い」

相撲をユニークな視点でデータ分析、意外な真実を発見する「大相撲どすこい研」。今回は「立ち合い」を大調査▽「当たりの強さNo1は?」「1歩目と2歩目どっちが大事?」▽元横綱・稀勢の里が白鵬との駆け引きの裏を明かす!▽市川紗椰イチオシ名場面▽NHK保存の膨大な映像から立ち合いをめぐる珍場面や歴史的事件を紹介!▽貴景勝・朝乃山・徳勝龍・炎鵬の立ち合い▽「立ち合いとは、タッチ愛!?」今田耕司の反応は?

【司会】今田耕司
【ゲスト】荒磯親方(72代横綱・稀勢の里)  市川紗椰 
【出演】69代横綱・白鵬 藤島親方(元大関・武双山) 舞の海秀平
【解説】藤井康生
【語り】阿部敦


再放送のお知らせ
2020年12月30日(水)13:15~14:05 NHK BS1 

「どす研コラム隊」vol.1  文・和田靜香(音楽/相撲ライター)

 この欄にコラムを書いていいと言われたので書きます、ライターの和田靜香と申します。日ごろは音楽や本、映画や相撲や社会問題、ワイドショーに健康、旅とあらゆるテーマについて書いている、まぁ、なんでも屋さんですが、殊に相撲が大好きなおばさんであります。

 さて、私も含めて最近では様々な人たちが相撲についてあちこちウエブサイトに書いていますが、昔はもっと多くの人が新聞や雑誌、自身の著作で相撲について書いていました。

たとえば「立ち合い」についてだと、昭和の大横綱、大鵬が自著『相撲道とは何か』(KKロングセラーズ)の中で、「立ち合いの戦法としては以下のものがある。頭から当たる。かちあげる。張り手をする。突っ張りをする。四つに組みにいく。相手の攻撃を見て変化する。相手の目の前で猫だましのように手を打って驚かせる。その場でふわつと立って様子をみる、なども戦法のひとつと言える」と書いていました。

最近は、あの立ち合いはいい悪いと様々ジャッジする人もいますが、へぇ、そうか、大鵬はどの立ち合いにいい悪いがあるとは言わなんだなぁと分かります。

また昭和28年から35年間、NHK大相撲中継の解説を務めていた神風正一さんは、その中継の相手役だった北出清五郎アナウンサー(と、髙橋義孝さんの共著)の本『大相撲』で対談をやっていて、やはり立ち合いについて「吐く息、吸う息が合致するのは理想でしょう。なかなかそうはいかんです。カッカしておるのに相手の吸うたり、吐いたりしとるのがわかるはずはない。とにかく相手が不十分で、自分がいいときに立ってやろうと、そればっかり考えておるわけです」と、元力士らしいリアリティある言葉が書かれていました。

立ち合いは阿吽の呼吸で、と理想は言われるものの、実際はどうにか抜け駆けしてやろうって考えているのが本当のところですよって、正々堂々悪びれることなく言ってたんだと分かります。なかなか面白い。でも、そうやって技術的なことを書いていたのはたいていが元力士の方々で、それ以外は相撲を見て自分はどう思った、こう思ったということを書くのがほとんどでした。

たとえば太宰治。頬杖ついてため息ばかりついてそうな太宰ですが、ご本人はけっこう大柄で大食漢だったとか。自ら水炊きなど鶏をさばいて作っておったなどと読むと、へぇ~、今生きてたらインスタに料理写真あげまくってたかもな?とか想像して、何やら楽しい。「#水炊き #太宰 #料理は最高 #人生は失格」なんて付けて……。

えっと、まぁ、それで、太宰は相撲エッセイを何度か書いているのですが、大食漢らしく、おでん屋の床の間に見つけた双葉山の掛け軸について書いた「横綱」とか。昭和15年夏場所、初めて相撲観戦したことについて書いた「国技館」とか。近所に住んでいた横綱、男女川についての「男女川と羽左衛門」とか。この3本が今、私の手元にあります。でも、正直に言うと、どれもあんまりおもしろくないというか(すみません)、スー女(相撲女子)視点で読むと、ツッコミどころ満載の読み物となっております。

中でも「国技館」はツッコミ甲斐があるというか。

「生まれてはじめて本場所といふものを、見せてもらったわけであります。世人のわいわい騒ぐものには、ことさらに背を向けたい私の悲しい悪癖から、相撲に就いても務めて無関心を装って来たわけであります。けれども、内心は、一度見て置きたいと思ってゐたのでありました。むかしの姿が、そこにまだ残ってゐるやうな気がしてゐたからであります」

 という言い訳から始まり、相撲協会から招待状をもらって袴をはいて出掛けたと続く。到着したのは午後4時頃だそうで、当時の本場所がどういう進行だったか不明ですけど、今なら午後4時と言えば「幕内~横綱土俵入りタイム」であり、十両見なかったの?と、まずはツッコミたくなる。でも、まぁ、初めて行くのなら仕方ないかと、とりあえず許してあげましょう。

 しかし招待してもらった席は「へんに窮屈で、その上たいへん暑かった」ので、すぐに席を立って一番後ろで見ていたらしい。いや、それ、升席だし、窮屈なのは当たり前だしと思うものの、なぜか太宰、升席のことは「雛壇」と呼んでいる。当時、「雛壇」と呼んでいたのでしょうか? それとも太宰の思い込み? とにかく雛壇評がまずあり、それから全体評になる。

「全体の印象を申せば、玩具のやうな、へんな悲しさであります。泥絵具の、鳩笛を思ひ出しました。お酉様の熊手の装飾、まねき猫、あんな幼い、悲しくやりきれないものを感じました。江戸文化といふものは、こんな幼稚な美しさ、とでも言ふものの中に生育してゐたのではないか、とさへ思ひました」

 当時のおすもうさんたちは今のように皆、大きくはなかったでしょうし、照明も暗かったでしょう。ただ化粧まわしは今と同じように華やかで、色々な刺繍があり、そのカラフルな化粧まわしをつけ、土俵の上をぐるぐるして何やら手を叩いたり上げたりする姿は、太宰に「へんな悲しさ」で「泥絵具の鳩笛」「熊手」「まねき猫」を思い起こさせたのでしょうか。というか、もしかして本当にそういう刺繍の化粧まわしがあったのかもしれない。

 しかし、幼稚な美しさと言われると、改めて国語辞典で「幼稚」って引き直してみたりする私ですが、幼稚?あれ、幼稚ですかぁ?と叫びたい気持ちです。まぁ、文学者太宰先生のお考えになられること、私ごときには分かりませんが。

 そして太宰は肝心の取組を「四、五番見ましたが」と、たった4~5番見て、帰ってしまう。とほほ。何しに行ったの?と大声で問いたいですが、問われる彼も当然今は亡く。

「照国といふ力士は、上品の人柄のやうであります。本当に怒って取組んだら、誰にも負けないだらうと思ひました。相手の五ツ島(注:五ツ嶋)とかいふ力士の人柄には、あまり関心しませんでした。勝ちやいいんだらう、といふ荒んだ心境が、どこかに見えます」

 と、初めての観戦で、「四~五番」しか見てないのに、いきなりの人格批評。今も昔も勝手な憶測で、相撲の一番からだけで人格批評したがるのって、日本のおじさんの得意技なんですか?と重ねて問いたい。太宰先生、大文学者ともあろう方が、ファクトチェックもなしに、ひどくないですか? ちなみに五ツ嶋は、佐田の山(第五十代横綱~その後、相撲協会の理事長になる人)や、そんな夕子に惚れた増位山のお父さんの方にも慕われ尊敬され、決して「勝ちゃいいんだらう」とか「荒んだ」方ではなかったようです、はい。

 そして太宰、最後には力士の取組を「武技」というよりは「芸技」と呼びたいと結んでいる。それが「いいことか、悪いことか、私には、わかりません」とある。昔の大相撲は今のようなスポーツ性は薄く、興行性が濃かった。太宰はそれをお気に召さなかったよう。もちろん繰り出す技などについては一切の言及はありません。

 ああ、太宰のお好みは文化系なのか武闘系なのか。この結論からは計りかねますが、どちらにしろ、大相撲の面白さは分からないままだったようです、もったいない。

 ちなみに文豪で、ぞっこん相撲ラヴ派と言えば、夏目漱石が圧倒的。名作「それから」には、「(誠太郎は)近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番先へ這入って見たいと云っている。叔父さん誰か相撲を知りませんかと、代助に聞いた事がある」と書いて、この人、本当に、相撲の常設館=国技館が完成した明治42年6月、真っ先に赴き、大相撲を楽しんだそう。漱石がもしインスタをやってたら、土俵を背にした自分の写真を載せて「#初国技館 #推しが勝ってこころ晴れ晴れ #胃は痛くない #趣味は遺伝する」とか書いたかな~と想像してニマニマする。

和田靜香(わだ・しずか) 音楽/相撲ライター
音楽評論家の湯川れい子氏のアシスタントを経てフリーに。趣味が高じて書いた本「スー女のみかた~相撲ってなんて面白い!」(シンコ―ミュー ジック)以降、スー女(相撲女子)目線の相撲記事を多く手掛ける。

和田静香さんの記事「スー女のミカタ」はこちら!(外部サイトへ移動します)

総合演出

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ディレクター

宮岡義徳 畑中皓太

アシスタント兼どす研調査員

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アドバイザー・知恵袋

金井真紀

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