松下奈緒「グレース・ケリー、花に生きて。」 日本を愛したモナコ大公妃の素顔に迫る
2011年7月、世界を沸かせるロイヤル・ウェディングが実現しました。
それが、モナコ大公アルベール2世公と婚約者シャーリーンさんの挙式。その時、世界の人々の脳裏に走ったのは、アルベール2世公の父母の結婚。
1956年の、レーニエ3世とハリウッドのトップ女優、グレース・ケリーの、世紀の結婚です。
女優から一国を代表する大公妃へ、グレースの華麗な転身は世界中の人々に夢を与え、ヨーロッパの小さな国モナコの名を世界に轟かせました。
グレース・ケリーはその気品溢れる美貌で、1950年代にマリリン・モンローと人気を二分した伝説の女優。わずか11本の出演作は、ほとんどが傑作・ヒット作で占められ、アカデミー賞も受賞。引退後も監督ヒッチコックが出演を熱望した最上のヒロインでした。ところが、グレース・ケリーは、結婚後、ついにハリウッド映画には一本も出演しませんでした。それは、彼女の常に前向きに生きる潔い姿勢を現していたのです。
彼女はこう言っています。
「私は女優に挑戦したように、結婚にも挑戦したのです。」
グレース・ケリーの人生への挑戦。
それは、日本との意外な出会いを生んでいました。
Japan Is, So Beautiful!
「美しい日本を訪れてから、私の眼は以前と同じではありません。」
これは、晩年のグレース・ケリーが語った言葉。
1981年、モナコの大公妃グレース・ケリーは神戸ポートアイランド博覧会に寄せて来日しました。その時、彼女には、隠された旅の目的がありました。それは、日本の生け花に触れる旅。
グレース・ケリーが日本の生け花に出会ったのは、1970年代の初め。以来20年間、グレースは、日本の花と文化に触れる旅を、密かに熱望してきたのです。そこには、ハリウッドの頂点からヨーロッパ王族との結婚という大胆華麗な転身を遂げた女優の、知られざる素顔がありました。
人々の瞼に今も輝くグレース・ケリーの魅力。番組は、その隠された一面から、ドラマティックな生涯を生きた一人の女性の美しい生き方を発見します。
ナビゲーターは、女優・アーティストとして活躍する松下奈緒さん。
生け花に魅せられ、日本を愛したグレース・ケリーの歩みをモナコに探り、グレースが切望し生まれた日本庭園や、バラ園、舞台を愛し、設計やインテリアまで手がけたグレース公妃劇場、芸術文化教育支援のためにグレースが設立した財団の活動など、モナコにおける大公妃ゆかりの場所からグレースの素顔に迫ります。
さらに、日本来訪時における足取りを関西へ追跡取材。
花を愛し、自らも押し花アートの世界にのめりこんだ大公妃グレースは、日本の花になぜ惹かれ、愛したのか?日本に寄せたグレースの想いとは?
日本人が知らない、グレースの真実の貌が浮かび上がります。
優れた女優であり一国のトップレディであった女性の行動と言葉から、花と日本への思いに秘められた素晴らしい生き方を見つめます。
「落胆することも人生の糧。大切なのは、悔やまず前に進むこと。痛みのない人生は価値がないのです。」
グレース・ケリー 1929—1982
※昨年放送した「松下奈緒 ショパン、私の恋人。」も再放送されます。
2011年10月22日(土)14:00~16:00