戦後70年「一番電車が走った」 2015年8月
70年前の広島。
原爆投下わずか3日後に、
焦土の街を一台の路面電車が走った。
運転したのは、16歳の少女だった—
「一番電車が走った」は、この実話をもとに、16歳の運転士・雨田豊子(黒島結菜)と広島電鉄社員・松浦明孝(阿部寛)が、原爆投下後の広島で路面電車の復旧に向き合う姿を描く物語です。
脚本は、実際に一番電車を運転した豊子さん、その従姉で被爆前は車掌を務めていた幸子さん、松浦明孝さんの長男・正和さんへの取材を軸に構成されています。
豊子さんが恥ずかしながらも饒舌になるのは、電車で出会った軍曹との初恋の話でした。ドラマでは描いていませんが、幸子さんもラブレターを受け取り、デートした思い出をよく話してくださいました。正和さんは、父・明孝さんが日々を綴った手帳を見せてくださいました。小さな字で書きためられたメモからは、正和さんら子供たちと畑仕事を楽しんだつかの間の休日も垣間見えました。70年前の戦時下であっても、そこには、今の私たちと変わらない何気ない毎日がありました。家族や友人、家も職場もすべてを一瞬に失う、あの日まで。
ドラマ中、被爆直後に一番電車の運転を託された豊子が電鉄社員の松浦に反発するシーンがあります。「友だちが死んでるのに、なんで運転をしなければいけないのか」と。言葉に詰まる松浦、精一杯の応えは—
「誰かがやらなければならないのです」
電柱を立て直し、ちぎれた架線をつなぎ、電車を走らせたのは、何気ない毎日を過ごしていた市民たちでした。
ヒーローなんていなかった。
誰もが前を向くしかなかった。
豊子さんは言いました「運転に戻りたかったわけじゃなかった。けど、仕方なかった」反面、「やることがあってよかった」大怪我を負った幸子さんは、運手に出て行く豊子さんを見て、「うらやましかった」とこぼしていました。
すべてを奪われた人たちが目の前にあることに取り組んだ。一歩を踏み出した。
その先に、今の広島があり、今も路面電車が走っている。
これが取材で辿り着いた、ひとつのヒロシマでした。
実在の人物を演じる黒島結菜さん、阿部寛さん、清水くるみ(幸子役)さんは、それぞれの希望で、ご本人やご家族に会いに行きました。当時の出来事や気持ちを本人たちの言葉で伺い、自分たちの演じる出来事が事実であることを実感され、「8月6日とは何だったのか『伝える』役割を担っている」重みを感じていました。
しかし実は、物語にはひとつ大きな嘘があります。
当時、豊子と松浦が、出会っていたかはどうか…は根拠がありません。確かなのは、被爆前、日常的に二人は路面電車に乗っていたこと。被爆後、豊子は一番電車に乗務し、松浦が電車復旧の現場指揮をとったことです。取材ディレクターが一番電車がどうして3日後に走れたのか、追いかける中で、見つけた点と点でした。豊子と松浦が電車復旧に携わっていたのは事実。豊子や松浦のような一市民の働きがあって電車が走り、広島に希望を与えたことを描くため、70年の時を経て、ドラマの中で二人を出会わせたのです。
爆心地を走っていた電車の運転士はレバーを握ったまま焼け焦げた状態で発見されたと言います。爆心地を襲った熱線は3000—6000℃とも言われ、爆風がすべてを吹き飛ばし、地表の熱で自然発火が起こり炎を上げて焦土と化したと言われています。
この焦土の瓦礫にこだわったのは、美術部のスタッフでした。瓦礫のひとつひとつに炭を塗り廃材を重ねて、一面瓦礫の広島を再現しました。
避難所で息絶えた友人を裏山で火葬する豊子。山頂から流れる煙を背に、薄汚れた手で豊子が桃を頬張るシーン。初夏に山頂での撮影は過酷なもので、撮影時間もタイトなことから、欠番という選択肢もありました。が、「原爆に遭って、友だちが死んだってお腹は減るんだよ」と照明スタッフの一言があって、撮影に踏み切りました。
電車内の撮影は広島電鉄の車庫で車両をお借りして行いました。広島電鉄の皆さんには、日常業務の最中、台本制作から撮影、編集時の資料確認に渡り、多大なるご協力をいただきました。
画面に映る1カット1カットに、出演者、スタッフ、協力関係者の『伝える』魂が詰まっています。
放送を見た豊子さんは、すぐに幸子さんにお電話したそうです。被爆直後、瓦礫の中でケンカをしたこと、肩を寄せ合い歩いたことを懐かしんで、まるで思い出話のように長電話されたと聞きました。
奪われたものの尊さと、それでも生きていくことの偉大さ。
〈もしも〉原爆投下が〈なかったら〉はありません。
昭和20年8月6日広島—とは何だったのか、忘れさせない一縷になればと思います。
アンコール放送のお知らせ
2015年10月1日(木) 22:00~23:13 NHK総合
出演
黒島結菜
清水くるみ 秋月成美
中村 蒼
山本浩司 宇野祥平
新井浩文
モロ師岡
・
阿部 寛
ほか
黒島結菜さんが演じるのは、当時16歳で運転士だった雨田豊子さん役です。ドラマでは豊子が友だちや大人たちに向かって絶叫するシーンがあります。黒島さんが本来持っている芯の強さもあるかもしれませんが、被爆後の悲惨な状況の中、生きるとは何なのかを問い詰められた豊子が発する叫びは、女優・黒島さんの目力とあいまってとても胸を打つ場面になりました。大きな見どころです。
阿部寛さんが演じる松浦明孝さんは当時広島電鉄の電気課長、几帳面で子煩悩な方だったようです。実際は阿部さんほど体の大きな方ではありませんでしたが、阿部さんの演技によって、穏やかで内に強さを秘めた松浦像がくっきりと浮かび上がってきました。大きな阿部さんが小さな手帳に小さな文字を書いたり、被爆後の変電所でちぎれた細い電線をつなぎ合わせたりするシーンには、懸命に電車を走らせようとした松浦さんの思いがあふれてくるようでした。これまであまり見たことのない阿部さんが見られると思います。ご期待下さい。
(岸善幸)
スタッフ
脚本・演出 岸善幸
取材・脚本 岡下慶仁
撮影 夏海光造
照明 高坂俊秀 美術 露木恵美子
映像技術 黒木禎二 装飾 松葉明子
録音 渡辺丈彦 小道具 福田弥生
撮影助手 井之上大輔 衣裳 宮本まさ江
戸羽正憲 衣裳助手 村田野恵
録音助手 斉藤泰陽 ヘアメイク 小沼みどり
助監督 兼重淳 ヘアメイク 小泉尚子
安河内瑠美 (阿部寛)
助監督応援 遠藤薫 ヘアメイク助手 新井はるか
制作担当 塚村悦郎 特殊効果 羽鳥博幸
制作主任 河上絵利子 CG制作 大澤宏二郎
制作応援 教野陽子 スチール 鈴木さゆり
伊勢隼一
湯澤布由子
音響効果 四元裕二 MA 森岡浩人
メイキング 松沢真実
ライン編集 佐分利良規
プロデューサー 竹村悠
ラインプロデューサー 河北穣
制作デスク 望月麻美
制作統括 奥本千絵(NHK広島)
大門博也(NHK)
関英祐 (NHKエンタープライズ)
取材協力 広島電鉄 ほか
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