佐藤寿一

ディレクター/プロデューサー

佐藤寿一

Sato Toshikazu

「じゅいち」と呼ばれていますが、正しい読み方は「としかず」です。
社内に佐藤利明(としあき)さんという大先輩のカメラマンがいて、上の二つの音が一緒なのでそう呼ばれるようになったと思います。
1956年兵庫県芦屋市生まれ。東京大学文学部卒業。
大学卒業後、放送作家を目指して野田昌宏氏(『ひらけ!ポンキッキ』プロデューサー/作家・翻訳家)に師事。2年間の丁稚生活で、映像制作の魅力を感じこの仕事を志すようになります。
フリーのディレクター/放送作家の後テレビマンユニオンにADとして参加。
1986年TBS「世界ふしぎ発見!」がスタートするタイミングで、初回エジプト編のAD、そのままエジプトに残ってディレクターデビュー。その後、約150本の海外取材を担当、約60カ国を取材しました。吉村作治先生や石澤良明先生には懇意にしていただき、エジプトとカンボジアは何度も取材しました。「世界ふしぎ発見!」の仕事で自慢できることは、20%以上の視聴率を3回とったこと。それと、発掘現場を取材中に二回も新発見があったことです。エジプトでは未盗掘の棺が、キルギス共和国では中国式の建物遺構がカメラを回してる時に見つかりました。3回目もあるのでしょうか?
「世界ふしぎ発見!」は2023年3月で卒業しました。
1999-2000年、NHKの「四大文明」のメソポタミア編を担当しました。フセイン政権下で米軍機による監視飛行(ミサイルも時々発射された)が続くイラクを取材、おそらく世界で初めてメソポタミアの遺跡群をHDTVで撮影しました。
1998年NHKBS「世界我が心の旅」で宮崎駿監督、鈴木敏夫プロデユーサーと紅の豚を彷彿とさせる赤いプロペラ機でサハラまで旅をしました。それが縁で、NTVジブリ映画特番、BS日テレ「ジブリの風景」、短編映画『もののけ姫 IN USA』などスタジオジブリの仕事を担当しています。
現在、ジブリパークメイキング記録映像のディレクター。

『ジブリパークができるまで。[第1期]』についてインタビューを受けました。インタビュー記事はこちら(Stereo Sound ONLINE)よりご覧いただけます。